1.17
自宅で……
あの日の朝もテレビを流しながら当時勤めていた会社へ出勤の支度をしていました。
そろそろ家を出ようかという時に大きな揺れが発生。
どんな揺れ方だったかは忘れてしまいましたが、じっと立っていることさえできなかったのを憶えています。
テレビの中ではスタジオの照明が消え、司会アナが状況を伝えていました。
この時にはまだ全体規模的な状況もわかりませんでした。
自宅付近では大きく揺れた“だけ”だったので、母を残し駅に向かいました。
(ちなみに自宅は奥大和の西北端です)
大阪へ……
普段利用する私鉄はどうにか動いていることを確認して最寄り駅に向かいます。
駅までの間でも特に地震の被害らしいものはありませんでした。
すし詰めの電車が余震のせいか何度も停車しながら走ります。
どうにか大阪に着いて地下鉄駅へ向かいました。
地下鉄は動いていません。
駅の奥では天井から水が出ていて改札の中に入ることを完全に止められていたように思います。
地上に出てバス停を探します。地下鉄が動いてないせいもあってかバス停はすごい人だかりです。
でも臨時便が出ていたのかあまり待たずに乗れました。
職場へ……
大阪市内ではあちこちで物理的な被害が出ていました。ビルの壁に大きな亀裂が入っていたり、割れたガラスが散乱したりしていました。
バスを降りて事務所まで徒歩。ほぼ人を見かけません。
事務所に着いても誰もいませんでした。
岡山の本社と連絡がついたのは昼を過ぎていたように記憶しています。
事務所の損傷や従業員の安否を確認して本社へ連絡後、(テキトーに帰れ)という指示で帰路に。
帰宅。
この日の帰りについては記憶にないんです。
特に何も支障なく帰り着いたような……
帰宅後テレビをつけて驚きました。
高速道路の高架が落ちたり橋脚ごと倒れたり、町がまるごと燃えてたり。
余震があったのか、いろんな情報をテレビで見たからか、❝怖かった❞と母に泣かれてしまったのでした……
COBOL系SE,PG から NetNews(nntp)配送管理者(tnn.netnews.stats集計担当) を経て現職。
社内業務改善(「やりたくない」がモチベーション)でいろいろ社内ツールを作ってきました。
ネットワーク系の機器をいじることも多いので、それらの管理や制御に関するツールもちらほら。
perlで書くことが多いですね。(COBOLやFORTRAN、Pascal でもいいですけど……)
どれだけ読みやすく書けるか、10年後の自分に手紙でも書くような気持ちで。
最近はDNSを少しかじったりしてますが、いろいろ悩ましいことが多すぎます (>_<)
好きなポート番号は53、119、123です。
LINK
クラウドベリージャム:プロフィールページ